市場の情緒

"秋風は もの言はぬ子も 涙にて"  芭蕉

かつて偉大な数学者は「何故秋風が悲しみを想起させるのか」と提起した*1。曰く、心がメロディーを奏でるからだと。心といっても、一般に感覚を知覚する脳の働きではない、謂わば第二の心が感覚するのだと大胆に主張する。その発想のダイナミズムは優に常人の思考の枠を越えるのだが、天才たるに相応しくその新奇突飛さは後々に証明され自明となるのが常であった。

秋風の悲しさを感じる機能の正体はこう例えられた。「時に修行中の僧は、心あるいは頭が無意識的に働いて、事の本質を直観する。」洋の東西を問わずこの様な伝承や表現は古くから残っており、誰しもがその経験を共有できるに違いない。

話は変わって、マーケット。その旋律につき人の心は感覚するのだろうか。世の中は不思議なもので、邪気なくピタリと株価を言い当ててしまうな者や、ファンダメンタルの基本の「き」すら知ること無く勝ち続ける曲者がいる。プロを自称する者や学者先生は、彼らをベル・カーブの辺境に住む田舎者にすぎないと軽蔑するだろうが、果たしてことはそう簡単だろうか。


“It is better to be roughly right than precisely wrong” John Maynard Keynes
ベル・カーブの中心に位置する洗練された社会では、市場に限るわけではないが、これを論ずるに兎角講釈を垂れる者が多い。偉そうなことを書いても当の本人が、市場関係者やメディア、政府発表の一言一句を毎日追いかけているのだから可笑しい。さて、ブログを暫く休んでいる間に興味深い記事を読んだ*2。何でも科学には四段階があるそうだが、はて市場はどのレベルにあるのか、また秋風の心とはどのように関係するか。なに、小難しいことは抜きにしよう。市場は常に正しいと言われる様に「厳密に間違うよりも、おおよそ正しいほうがよい」でしょう。何を言いたいのかというと、田舎者と都会人どちらを信じるのかと。

こちらのチャートは日経平均と電機セクターの昨年10月来のパフォーマンス比較。電機セクターがどの銘柄を指すか直接言及しないが、つい先日には起死回生をかけるも旧態依然としたTV業界から総スカンをくらったあの企業を含む三社だ。かつての威光があまりに眩いためか、ここ最近はネガティブな噂が後を絶たず市場からは厳しい判断が下されてきた。その為か影をつけた期間での急騰にはさすがに私でも何かを感じた。5.23ショックを事前に察知したあの人は違う何か、そう秋風の悲しみと呼ばれるものを直観したのだろう。


情緒を冠する書を眺める熱帯夜に思う。
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